演奏について

ボウイングと呼吸

 ヴァイオリンを弾く時の「呼吸」について、最近入った生徒さんからいくつかの質問を受けました。簡単ですが、少し触れておきたいと思います。

1)ヴァイオリンを弾く時に意図的に呼吸することは、基本的にはないものと思うこと

 いまだに、「ダウンは息を吐く、アップは吸うこと」という指導を受けている生徒さんが多いことに驚かされます。中には、最初の開放弦のボウイングで、「ダウンは吐いて、アップは吸って、できるだけ大きく呼吸をして自然に弓が上下するようにしましょう」という練習をさせられてきた方もいました。実はこれ、とっても危ないんです。

 特に日本で「アップは大きく吸う、ダウンは自然に吐く」と教えられてきた背景には、多くの指導者がロシアンの流れにあったことと無関係ではないと思います。ロシアンのボウイングは、「肘が八の字を描くように」「手首を顔に向かっていくように」など、さまざまな言葉でボウイングの基本を指導してきました。このこと自体、やや危険が伴うこともあります。特に「手首を顔に向かうように」という指示は、肩を縮めたり腕を短くする危険が強く、問題です。ハイフェッツやオイストラフの演奏を見ると(この巨匠2人のボウイングは、ロシアンでも全く異なります)、決して腕を縮めていないことがわかります。

 呼吸に関して言うと、肘を持ち上げるような運動をすると、胸郭が上にせり出そうとします。これが「息を吸うこと」という指導の元になっているのだと思いますが、二つの点で誤りです。

 ひとつは、胸式呼吸を促進してしまうことです。

 安定した体の使い方をするためには、骨盤が安定して、上体をできるだけ楽にすることが必要です。そのためには、腹式呼吸をして、呼吸をする時に胸郭や肩を不要に動かさないことが大切なのですが、腕の上下で「吸う/吐く」を繰り返していると、自然に胸式呼吸をするようになってしまいます。実際、前述のような指導を受けてきた生徒さんは、楽器を弾く時に一生懸命胸式呼吸をしていました。胸式呼吸で使われる筋肉は、腕の運動を促進したり阻害したりする要素がありますが、ボウイングの基本的な運動にこのような「余計なもの」を組み込んでしまうことは避けなければなりません。

 もうひとつは、音楽の流れを大きく損なってしまうことが多いことです。

 バロック以前の弦楽器であれば、むしろ、この呼吸法は理にかなっているかもしれません。なぜかというと、「ダウンとアップは別のもの」という意識が強かったからです。ですから、古いテキストだと、「スティッチ(「|」のこと)はアップで」などと書かれていることもあります。この音はダウンで、これはアップで、という使い分けをしていたのですね。それは、音符の性格と運動によって作られる音とをマッチングさせていたためでしょう。

 しかし、モダンの奏法になると、アップもダウンも同じ音が出せることが前提になります。こうなると、呼吸の違いによって音に差が出ることはマイナスなのです。

 ダウンとアップで律儀に呼吸をすることを覚えてしまうと、たとえば、弓を切った三連符がとても不自由。ダウン/アップがセットになってしまうので、三連符に聞こえない。どうしても三連符にするには、三連符の頭にアクセントを付けなければならなくなってしまいます。フレーズにしても、「ボウイング・フレーズ」(ボウイングごとにフレーズが切れること)になってしまうことが多いのです。

 呼吸は、弓の運動に関わらず、自然に腹式呼吸が行なわれていることが「原則」です。意図的に呼吸をするのは、ごく限られた場合だと思って下さい。呼吸のことを考えるのであれば、丹田を鍛え、自然な腹式呼吸ができるようにすることがポイントです。

2)アウフタクトで吸う、は、危険

 これも、多くの方が間違えていることです。危険なことはたくさんあるのですが、2点に絞って説明しておきましょう。

 まず、アウフタクトの形は多様である、ということです。

 アンサンブルをやってみると、「アウフタクトは吸う」という原則を守っている人が、合わせることに苦労するシーンをよく見ます。それは、アウフタクトの形の違いを理解していないからであることが少なくありません。

 例えば、ベートーヴェンのメヌエットのようなアウフタクトと、ガヴォットの形式の弱起は、意味が違います(し、ボウイングもアップとはかぎりません)。これを同じような呼吸で処理することには無理があります。さらに、このふたつのようにアウフタクトのリズムが次の強拍と分離している場合と、アウフタクトが次の強拍とリズム(アーティキュレーション)として連結している場合(ブラームスの4番の交響曲の冒頭など)では、イメージも運動も全く異なります。

 あえて、「アウフタクトで息を吸う」という方向で考えてみると、「アウフタクトで息を吸う場合は、いろいろなパターンがある」ということになるでしょう。息を吸って止めてから始めるアウフタクト、息を吸いながら弾くアウフタクト、大きな息を吸っている途中で音が始まるアウフタクト、など、いろんな弾き方がありそうです。

 呼吸を意識して行なうのは、体を整えるためであって、運動を作るためではない、という原則を忘れないでいただきたいと思います。

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表現することは準備すること

 久しぶりに、音楽日記を更新します。

 震災以来、公私ともにさまざまなことがあり、なかなかブログを更新する気になれませんでした。その間に、私を取り巻く環境も少し変化しました。これからは、短くても少しずつ更新しようと思います。(仕事の合間の休息、または「逃避」かもしれませんが/笑)

 今日のテーマは「表現することは準備すること」

 発表会(今年は残念ながら中止になってしまいましたが)やアンサンブル合宿をやっていると、生徒たちが少しずつ成長していることがよくわかります。最初は楽譜を追いかけたり、人の音を聞いたりすることで手一杯だった生徒たちが、少しずつ「表現する」ことにも意欲がわいたり、人の表現を受け止めることができるようになってきます。そんな中で、表現をテーマにレッスンやお話をすることが何回かありました。私自身の備忘録として、こういうことも記しておこうと思います。

 音楽は、テンポや音量が常に一定ではありません。一定であるところの方が少ないかもしれない。特に、何かを表現しようとすると、どうしてもテンポが緩む(音が長くなる)ことが多いものです。意図的にそうするならよいのですが、意図せざる「遅れ」や、テンポ自体(音楽の進行自体)が緩んでしまって、結果的に遅くなってしまうこともあります。何故このようになるのか、また、音楽的な進行を阻害しないためにはどうしたらよいのかをコメントすることがありました。

Bachfurei  

 譜例は、バッハのパルティータ2番の「Allemanda」です。私は、ある程度進んだ生徒(特に大人になって始めた生徒や一定以上の年齢の生徒)には、エチュードの替わりにバッハを課題にすることが多いのですが(概ね、クロイツェルに入るレヴェルから。ドントのop.37を何とか、というくらいです)、このような名曲だと、生徒も「こう弾きたい」という意欲がでてきます。こうしたときによく起こるのが「遅れ」「勢いがなくなる」「つながらなく」といった症状。「やりたいことはわかるんだけどね・・・」

 表現をしようとするときにこうした症状が起こると「センスがない!」といって切り捨ててしまいがちなのですが、私の持論「音楽のセンスの基本は経験値であり、だれでも身につけることができるもの」に従えば、こうした症状も音楽的なものに変えることができるはず。

 みなさんも一緒に考えて下さい。譜例に取り上げた部分の1、2小節目に、テヌートが書かれています。これはショット版(いわゆる「シェリング版」)で、バイブルのように使っている方も多いと思いますが、私はいろいろと問題点を感じています。ひとつは、こうした「シェリングが書き加えた記号」の是非です。このテヌート記号は、私にはとても違和感がありますが、今はそれは問題にしません。今回のテーマは、「強調するとして、どうするか」という問題です。(鉛筆で書いてある→は、この楽譜を使っている生徒が書き込んだものです。無視して下さい)

 この楽譜に従って弾いたとしましょう。テヌートが書かれているところを、テヌートとして一般に思われているように(音の長さを十分に、音の大きさを保って)弾いてみることにします(注)。
(注)テヌートの定義にも問題がありますが、その点は今回は無視します。少なくとも「音を長く」は完全なる間違いで、「音の長さを十分に」は30点(すなわち、落第)、「音(の大きさ)を保って」は50点だと思っています。

 この音だけを指示通りに長めに(音を保って)弾くと、とても妙なことになります。その音だけが突出してしまい、音楽の流れが妙なことになってしまうのです。生徒に弾いてもらうと、この「妙な気分」を避けようとして、テヌートの後が自然にゆっくりになってしまうことが多いのです(というか、ゆったりとしないと、確かに奇妙です)。しかし、表情を付けようとするたびに遅くなっていては・・・ではどうするのか。

 音楽的に弾くためには、実は「強調するところ」の事前準備が必要なのです。

 仮に、シェリング版のとおりにテヌートをつけて強調するとしたら、それを強調してもおかしくないように前のフレーズを弾かなくてはなりません。そうすれば、テンポを失することなく、強調できるのです。

 もちろん、作曲者が突然大きくしたり小さくしたり、という指示をすることもあります。それはそのように表現するものですが、作曲者が書いたものに自分の表現を加える場合は、強調したいところに向かう準備が大切なのです。

 これは、コース料理を食べることに似ていませんか?

 どんなに美味しいメインでも、その前のプレートがメインを食べたくなるようなものでなくてはなりません。シェフは、こうした組み立てに心血を注ぎます。ね。やはり「音楽は料理だ!」

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