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2012年3月

「展覧会の絵」特別演奏会

 いよいよ、展覧会の絵の特別コンサートも明後日になりました。練習にこぎ着けるまでにいろいろなことがあって、少々しんどいコンサートになってしまいましたが、あとは全力投球するだけです。

津留崎直紀編 ムソルグスキー「展覧会の絵」特別演奏会


[日程] 2012年 4月 1日(日)
[開演] 14:00 (開場 13:30)

[会場] 新宿区立四谷区民ホール
[入場料] ¥2,000


[曲目] ヨハン・セバスチャン・バッハ/「音楽の捧げもの」BWV1079より抜粋
   
ヨハン・クリスチャン・バッハ/協奏交響曲 イ長調
   
モデスト・ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」(津留崎 直紀 編)

指揮/チェロ独奏 津留崎 直紀

ヴァイオリン独奏 柏木 真樹

弦楽合奏  Strings CONSONO

 今日は、さきほどまで、津留崎さんとバッハの協奏交響曲の最後の合わせ。

 私のように、演奏家としての活動歴がほとんどないヴァイオリン弾きにとって、津留崎さんのような方と一緒にソロを弾けることは、とてもエキサイティング。私もいいかげん頑固な、こだわりの強い人間ですが、津留崎さんもそのこだわり方は半端ではありません。合わせをしていても、とても面白い。今回は、私が津留崎さんの「言うことをきく」つもりだったのですが、結局はあれこれと議論して、面白い経験をさせていただきました。

 展覧会の絵については、津留崎さんのサイトに詳しく解説がありますので(http://blog.goo.ne.jp/naoki-tsurusaki)そちらをご覧下さい。ラヴェル版に慣れ親しんだ多くの人にとって(私も含め)、かなり新鮮な感覚を得られるのではないかと思います。

 ご来場をお待ちしております。

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ピアノを調律しました

 一昨日、半年ぶりに調律をしました。今回は、ちょっと新しい調律師さんにお願いしてみました。うるさいことを言ってごめんなさい・・・

 私のスタジオのピアノは、キルンベルガーの第3に調律してあります。理由は、調性の「色」が見えるようにする(生徒に知ってもらう)ためです。ですから、調律師も限られてしまいます。

 ピアノを古典調律にしようと思ったのは、10年ほど前に、作曲家・ヴァイオリニストであった故玉木宏樹さんの事務所にお邪魔したことがきっかけでした。チェンバロの調律は20年前からやっていましたし、ピアノでやっても色合いが違うということは理屈ではわかっていたものの、玉木さんが示して下さった音律による調性の違いは、ある意味で衝撃的でした。それまで頭の中で考えていたことが、何も考えずに理解できたのです。

 ピアノは、ある種の特殊なものを除いて、平均律に調律するように作られています。そのために、「古典調律にしたら楽器が鳴らなくなりますし、楽器によくありません」という調律師もいます。それはそれで一理あるのかもしれませんが、それにしても平均律の色のなさは、古典派以前の作曲家が書いた楽曲を理解するためには不十分だ、と思わざるを得ませんでした。私はピアニストではないし、弾くのは生徒の伴奏だけ。それも、難しいものはパス(苦笑)ですから、せいぜい、モーツァルト、ベートーヴェン、あとはコンチェルトくらい。これなら、キルンベルガーの方がいいのです。

 私のスタジオに来るピアニストは、みんなびっくりします。和音を弾いて手を引っ込める人もいる(笑)。「これ、調律狂ってます!」

 では、平均律での演奏がだめなのか、というと、そんなことはないのですね。例えば、野平一朗さんのピアノを聞いていると、「平均律でもいいじゃん」と思ってしまいます。他にも、全くストレスなく聞けるピアニストは何人もいます。でも・・・

 要するに、私が下手だということなんでしょうけど(苦笑)

 キルンベルガーに調律したピアノは、とにかく面白いのです。

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想像力と創造力

Photo
 私は、美味しいものを食べるのが好きです。小さい頃から料理をやった(やらされた?)こともあり、料理は大好き。美味しいものを食べると、幸せな気分になります。

 一頃、食べ歩きにはまっていました。

 あちこちのレストランに足を運んで、たくさんのシェフの料理を食べました。一昔前に比べて、東京のレストランの質はとても上がっていると思います。特に、バブルの時代以降に成長した若いシェフ(主に30歳代)の中に、「これは!」と思う料理を食べさせてくれる人が多いように思います。

 ところが、ある時期から外食に対する意欲が減ってしまいました。それは、「発見」が減ったように思うからです。おこがましい言い方ですが、出て来た料理を見て味の想像がついてしまう、場合によっては、メニューを見ただけで味の想像がついてしまうことも増えました。

 そんな中で、大好きで通い続けているお店が2軒(+1軒)あります。神保町にある和食の店「傳」と、千駄木にあるイタリアン「カノーヴァ」です。(+1は、「西尾中華そば」)。この店たちが残った理由は、「驚き」にあります。3人とも、自らを「変態」「変人」と言って憚らない方達ですが、その想像力と創造力は、いつも楽しい「驚き」を与えてくれます。時には「はずす」こともあるのですが、それにしてもいつ行っても楽しいのです(もちろん、美味しい!)。更にすごいことは、どんどん料理が進化していることです。自信を持ってお勧めできるお店、そしてシェフです。

 最近は、食べに行くことが「自分の想像力とシェフの創造力との勝負」と思うようになってきました。毎回、そんな楽しい勝負をしてもらっている感じがするのが、このシェフたちの料理です。共通点は、新しい食材や調理法をどんどん試していること。食材を見て「どんな味になるのか」という想像力を働かせて、それを自分の持っている創造力で素敵な料理に作り上げる、そういう姿勢を強く感じるのです。

 音楽も同じですね。これらのシェフのような一流の料理人と比較するのはおこがましいのですが、自分がやっている/教えている音楽が、少しでもこの方達のレヴェルに近づけるように、努力を続けたいと思います。

 写真は・・・西尾さんが作った「あん肝ラーメン」です。じゃっかん、「在ちゃんはいってます」(冒険してます、ということです。内輪ネタですが)。やや旧聞(1月のこと)なのですが、パソコンのファイルを整理していたら出て来たので、こんなことを書いてみたくなりました。

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新しいiPadと音楽にまつわるデジタル化の話

 今日(8日)未明に、Appleから新しいiPadの発表がありました。最近、音楽関係のデジタル化についていろいろと考えさせられているので、どんなものが出るのか、私も興味を持っていました。

 私のスタジオは、アップル率100%。私が仕事に使っているMacBook Air、お手伝いに来てくれている生徒が使っているのがiMac、予備機は、私が以前使っていたMacBook、そして、iPhoneです。最近は、コピー機も無線でつないであって、作った楽譜もワンタッチでプリントできる、とてもよい環境になっています。テーマは、「iPadで楽譜を見るようになれるか」

 現状では、答えはノーです。もちろん、慣れの問題もあると思いますが、まだまだ使い物になる代物ではありません。しかし、将来、デジタル化した楽譜が使い物になる日が来れば、ピットなどで演奏する時にはかなり楽になるでしょう。重たい楽譜を持ち歩かなくてすむようにもなるかもしれません。

 使い物にならない理由はたくさんあります。書き込みの問題、譜めくりの問題、そして根本的なのは、頭の中に楽譜を取り込む作業が、iPadのような電子機器では「情報が少なすぎる」のです。これは、スコアを使っていると痛感します。「このあたりにある」「このくらいめくる」という勘に頼った作業がとても多いからです。「ページをまとめてめくる」ときには、「何ページめくる」とは意識しません。「このくらい」という、経験値によって得られた「勘」が頼りになるのです。ページで検索するような場合には、iPadのようなものが便利かもしれませんが、頭はもっと「ファジーに」働いているのです。ですから、それを電子機器で再現するのは難しい。

 しかし、「どんな新しいiPadがでるんだろう」と考えているうちに、いくつかアイデアが出てきました。

 iPadが楽譜として使い物になるための「表面的な条件」としてまず思いついたのは、

1)非接触型のセンサーを優秀なものにして、譜めくりが楽になること
2)複数のiPadを並べて、楽譜の配置を自由にできること

の2つです。もちろん、

 これでも、使い方は限られています。楽譜に書き込む、消す、という作業は、まだまだ現在のiPadでは無理だと思いますが、そのうちできるようになるかもしれません。ペンタブレットのようなものがさらに優秀になれば、それほどストレスなく使える日もそう遠くないかもしれません。でも、そのことが「紙の楽譜をiPadに置き換える」積極的な理由にはなりません。しかし、上に挙げた2つは、電子機器ならではの使い方を提示してくれるかもしれません。

 オーケストラやアンサンブルでの譜めくりを想像してみて下さい。苦労している人も多いでしょう。非接触型のiPadが2つ以上並んでいて、手をかざすだけでめくれたら、とっても便利です。もちろん、複数のiPadを並べて、楽譜が送られるようにすることも必要でしょう。

 楽譜の編集も楽になりますね。楽譜ソフトと連動するようになれば、スタジオ録音などではとても便利なツールになる可能性があります。

 しかし・・・

 やはり、私の想像力では、出版譜より使いやすいiPadの使い方は出てきませんでした。あっと驚くようなものが登場するのか、それとも、人間の感覚には、どうしてもアナログのものの方が合うのか、これから、新しい文化のせめぎ合いが始まるのかもしれません。

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音楽業界の厳しさ

 音楽業界、特に、音楽に関わる出版の不況が深刻です。金融不安、東日本大震災、欧州の金融危機など、経済状況が悪いのは音楽に限ったことではありませんが、それでも、ここ1年ほどの状況は目を覆うばかりです。

 音楽之友社で、会社側と従業員の間で、退職金に関して裁判沙汰になっていることは、ご存知の方も多いと思います。音楽之友社にはそれなりの特殊事情もあるようですが、それにしても、どうあがいても勝てそうにない裁判に持ち込まざるを得ない音楽之友社の状況は、容易に想像がつきます。

 ネットの普及で出版物が売れなくなった、という話はよく聞きます。確かに、インターネットというツールが出版物に取って替われるものも少なくないでしょう。電子書籍などは、ある一定のシェアを取っても不思議ではありません(私は、どうもダメですが・・・)。しかし、音楽之友社の出版物のなかには、電子化できないものも少なくありません。特に、楽譜は、しばらくは印刷物でなくては役に立たない状況が続くでしょう。

 楽譜が売れなくなった原因のひとつに、ネットに氾濫する無料(ないし、安価な)楽譜の存在もあります。コピーが簡単にできるようになっただけでなく、元になる楽譜ですら無料で(ないし、極めて安価に)手に入るようになっては、出版社はたまったものではないでしょう。ネットで楽譜を無料で手に入れて、付加価値がある校訂部分は誰かのを写す、そんなことが当たり前になったら、楽譜の出版そのものが成り立たなくなります。現代まで音楽文化を支えて来た出版社がなくなってしまったら、と考えると、哀しくなります。

 楽譜だけでなく、音楽書も厳しいようです。それだけでなく、音楽を生業にしている人たちにとって、過去に経験のないような厳しい状況が続いているとも言えます。もちろん、音楽大学が多すぎるという問題もあるでしょうが、「音楽で食べる」ことは、これまで以上に厳しいものになると言わざるを得ません。

 職がない人が溢れている不況の時代に音楽で「喰う」ことなど贅沢なのかもしれませんが、それでも、音楽が人々に与えるものの大きさを考えると、なんとかこの時期を乗り越えて欲しい、乗り越えたい、と思うばかりです。

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