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東北大震災に思う/歌舞音曲を生業とするもののつぶやき

 東北地方を襲った信じられない規模の地震から一週間が経ちました。原発の暴走という大きな問題も発生し、計画停電などを含めて被災地の報道が相対的に減ってきましたが、被災地での厳しい生活は、これからが長い道のりです。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、被災者の方たちの生活が一刻も早く復旧することを切に念じています。

 大震災の報道を見ていて、私は16年前の阪神大震災を思い出さずにはおられませんでした。

 阪神大震災が発生した時、私の仕事の中心は家庭教師でした。たくさんの生徒に恵まれ、アシスタントの学生と一緒に多くの生徒を教えていました。私が震災後1週間でボランティアとして神戸に行くことを決めたことには、いくつかの理由がありました。

 直接のきっかけになったのは、震災3日目の報道でした。被災者が集まっている小学校(まだ避難所として機能しているわけではありませんでしたが)で、呆然とたたずんでいる子どもの目を見たからです。その目は、私に小学校のときのユニセフのポスター(ビアフラ難民救援募金)の記憶をよみがえらせました。そのポスターは、全面に大きく難民の子どもが写っていたのですが、その目はまさに「死んだ」目だったのです。

 私が見たそのニュースの子どもは、ユニセフのポスターの子どもと同じ目をしていました。「子どもは元気に遊んでいます」とレポートしているアナウンサーの言葉とは違い、現地では恐ろしいことが起こっているという思いを強くしたのです。

 そして、もう一点、私が神戸に行く決心をした理由がありました。それは、私がしていた仕事について思うところがあったからです。

 家庭教師を「プロとして」やっている私のクライアントの多くは、経済的に余裕がある家庭でした。広尾や成城などにも何人もの生徒がいました。こうした家庭で家庭教師をやって高給を食んでいる自分の仕事が、被災地の子どもたちの姿を見て、価値のないものに思えてしまったのです。子どもたちのメンタルケアをしなくては、と、ボランティア・グループを作って神戸市灘区に向かいました。

 神戸には1月末から5月の連休までいました。その結果、自分自身も精神状態をおかしくして、それまでの仕事ができなくなりました。教えている子どもにシンクロしてしまうようになり、涙が止まらなくなるような状態になってしまったのです。仕事を徐々に減らし、それから数年間は非常に厳しい生活を送ることになってしまいました。

 しかし、私は神戸に行ったことを後悔していません。神戸に入った時に、「子どものメンタルケアをやらなくてはならない!」と言い続けても、最初は全く受け入れられませんでした。(PTSDという言葉が日本で認知されたのは、阪神大震災と直後のオウム事件の被災者/被害者の心の問題が取り上げられてからです。)しかし、毎日子どもたちと時間を過ごしながら、新聞やパソコン通信などを通じて情報発信を続けた結果、3月末には少しずつメンタルケアの必要性が理解されるようになりました。私たちがやったことがどれだけ役に立ったかはわかりませんが、それでもそのときに自分ができる全てのことをやりつくした、と納得することはできたからです。

 今回の震災の報道を見ていて、神戸を思い出すとともに、私の仕事についても再び考えさせられてしまいました。

 私の仕事は(整体を傍らでやっていることはありますが)、基本的にはヴァイオリンを教えること、音楽を教えることです。自分なりに人様に認めていただける仕事になってきたと思ってはいるのですが、こうした大災害に出会うと、いろいろなことを考えてしまいます。

 現実問題として、音楽を学ぶということは、ほとんどの人にとって「最後の贅沢」です。みなさんとても熱心で、ぴっかぴかの車を買うよりヴァイオリンを続ける、という生徒さんの方が圧倒的に多いのですが、それでも「なくて済むもの」であることには変わりありません。

 もちろん、こうした「仕事」はたくさんあります。

 ある人と話をしたのですが、「美味しいものを食べる」「高い店に食べにいく」「遊ぶ」「高価なものを身につける」など、すべてが「自粛」ムードです。そして、それを声高に叫ぶ人もいます。「こんなときに贅沢をするなんて!」

 でも、そういうことを言う人が、普段「高い店」や「遊び場」に行っているのだとしたら、これは全くのはき違えです。なぜなら、「普段は欲しい。でも非常時はいらない」という理屈では、普段、そうしたサービスを提供する人がいなくなるからです。「都合の良いときはなくては困る。だけど、非常時はいらないから使わない」ということであれば、そうしたサービスは成り立たないのです。普段そうしたサービスで生活している人たちは、非常時にどうすればよいのでしょうか。

 人は、生活の中で「贅沢」を覚えました。それは、音楽を愛することであったり、美味しいものを食べることであったり、宝石を愛でることであったり・・・さまざまです。こうした「贅沢」は、生活に余裕があるからできることです。

 これは、人間の歴史を見れば明らかなことです。原始共産制が次第に上下関係がある社会になったきっかけは、「生産余力」でした。生産に余りができれば、その剰余分を得られるものと得られないものができます。これが「経済的な差」になるきっかけだったのです。文化(人間の行動はすべて文化である、という広義の「文化」ではなく、狭義の「文化」)が生活の余力にすがるしかないということは、人間が文明生活を送るようになってからのあたりまえの「本質」なのです。

 家庭教師をやっていた自分にとっては、塾や家庭教師をやることで培った経験とノウハウを被災地で活かすことができました。それがしたかったから神戸に行った、ということが本音かもしれません。ついでに、被災地でヴァイオリンを弾いたり音楽の催し物を企画したりという活動をすることもできましたが、それは、子どもたちと時間を共有することで得られた信頼に基づいてのことだったと思っています。

 自分が「干上がったキリギリス」になるのか、それとも何らかの方向性が見つかるのか、少し考えてみたいと思っています。

 

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コメント

おっしゃる通りですね。衣食住がままならない状況では音楽は贅沢なものと切り捨てざるを得なくなります。一方、人間が前向きに生きていくためには精神のエネルギーが必要で、衣食住が満たされている側からの支援の中では気持ちの荒廃を治癒することも大切だと思います。音楽家の使命ではないでしょうか。第二次世界対戦後、フルトヴェングラーがベルリンで演奏を再開したときの感動は大事にしたいですね。(ただ、生業の方はかなり影響されるでしょうね・・・。切実な問題はこちらですね・・・。)

投稿: maeda | 2011年3月19日 (土) 09時32分

maedaさん

ありがとうございます。

音楽は人間の精神に大きく貢献しているとは思うのですが、それでも非常時にはいくばくかの「後ろめたさ」があることは確かです。贅沢品と同じ、と、はっきり言われたこともあります。

こういうことがあると、あれこれと考えさせられますね。

投稿: MAKI | 2011年3月20日 (日) 09時16分

そうですね。贅沢品と思います。でも贅沢は大事です。お金をかけるという意味ではなくて、どんなところにも贅沢はできるような気がします。質素な贅沢と言いましょうか。そういう心がなくなってしまったら荒んでしまうのではないでしょうか。衣食足りて礼節を知るみたいに生命維持の最低限のものではないかもしれませんが、パンのみに生くるにあらずですから。どんなに困窮しても人間である限り音楽でなくても良いのかもしれませんが美は必要だろうと思います。

投稿: maeda | 2011年3月24日 (木) 18時52分

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