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2011年3月

20110328の日記/震災について思う

 震災以来、精神的にかなり不安定です。恐らく、日本中のみなさんがそうだと思うのですが・・・

 あれこれ考えていて、落ち込んでいる原因がふたつあることに気づきました。ひとつは、阪神大震災の時のことを思い出してしまうこと。直接被災した訳ではありませんが、ほぼ3ヶ月、被災者と一緒に生活をしてそれなりにトラウマを抱えてしまいまい、PTSDのような症状を呈していたこともありました。落ち着いてはいたのですが、避難所の生活をテレビで見ていて、涙がとまらなくなるようなことがあります。これは、解決法もわかっているので、親しい人たちと話をしながら解消していけると思っています。

 もうひとつは、「何もできないもどかしさ」です。

 阪神大震災のときは、震災3日後には「やるぞ」と決めて行動を始めました。当時、私は塾講師や家庭教師が本業でしたが、それなりに生徒の数も多く、精神的にも経済的にもある程度の余裕がありました。1週間ほどでスタッフをまとめ、1月下旬には現地調査がして、2月から活動を始めました。

 当時はまだ30代半ば。肉体的にもゆとりがありました。車を飛ばして神戸に向かうのもへっちゃらで、夜行バスも駆使して東京と神戸を行き来しました。子どものメンタルケアは「どうしてもやらなくちゃ」と思ったことでもあり、精神的にも頑張っていられた状況にありました。

 今回は・・・

 まず、被害の規模や質が、神戸とは全く異なります。神戸では、被害が深刻だったところでも、被害がほとんどないところから歩いて(ないし、自転車や原付で)行くことができました。ですから、ボランティアとして被災者の負担にならないように寝泊まりすることが比較的容易だったのです。ところが、今回は状況がまるで違います。すでに震災から2週間経っているのに、現地からの情報を見ていると、ボランティアが「自活して活動できる」状況にはありません。現地で食料などを調達することになると、被災者に対して負担になってしまうことも考えられます。ですから、むやみにボランティアが現地に行くことは良くないのです。

 また、必要とされている労働の内容も、まだ震災直後の状況です。足りないのは「人足としての人手」が中心です。こういうことをやるには、私はもはや年を取りすぎています。かえって、足手まといになってしまう恐れすらあるでしょう。

 神戸は私にとってなじみのある街でした。ですから、現地に行ってもかなり土地勘もあり、活動することが容易かったのですが、今回はそうしたアドバンテージもありません。阪神大震災の時に一緒に活動した仲間からは、情報の提供やオファーもいただいているのですが、私が役に立てるとは思えません。

 それに加えて、本業が上手くいっていない・・・

「何かをしなくちゃ」と気ばかり焦っていて、何もできないむなしさだけが積もり積もっていたのです。

 そんなおりに・・・・

 友人から「音楽でボランティアをやらないか」と声をかけられました。話をしてみると、極めて真面目に考えていらっしゃいます。話をして、少し前向きになりました。

 音楽などの「楽しむもの」を使ったボランティアは、神戸の時にもたくさんありました。しかし、そのほとんどが価値のない、ないし害になるもの、「自己満足のためにやってるんじゃないか」というしろものだらけだったのです。素人の演劇をやってまわっていたグループの中には、子どもたちにお菓子を配って「動員」しているような輩もいました。もちろん、真面目に被災者のことを考えて活動していた人たちもいたのですが、現地に張り付いて毎日生活をともにしている私たちからすると、信じられないものも少なくなかったのです。

 そうしたことがあり、私は音楽を使ったボランティアには、今回は消極的でした。一過性の、単にコンサートを押し付けるだけでは、全く意味がないと思っていたからです。

 しかし、今回呼びかけている人は、そうした点も十分に考慮した活動を考えようとしています。これなら、私にも何かができるかもしれない、と、思うようになりました。

 まだ、はっきりした形にはなっていませんが、話を進めてみて、何かできそうであれば少しでも被災者の方たちのお役に立てれば、と思います。

 形がはっきりしたら、ご報告させていただきます。

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第14回音楽理論講座が終りました

 21日に、予定通り音楽理論講座を行いました。東北大震災の直後でレッスンのお休みも多く、やろうかどうか悩んだのですが、お休みの連絡が思ったより少なく、思い切って挙行しました。15名の参加者がありました。このような状況で参加された方々の熱意には、頭がさがります。

 今日の話の中心は「リズム」でした。

 リズムを理解すること(リズムとは何か、ということ)は、実はとても大変です。「リズムが悪い」という指摘が何を指しているのかは、場面によっても全く異なることがあります。そうした混乱を整理してリズムの本質を理解することは、「リズムが苦手」「テンポ感がない」という悩みを抱えている人たちにとってとてもよい参考になると思っています。今回の講座では、リズム/拍/拍子などについて、かなり突っ込んだお話をしました。

 次回は5月の予定です。4月は無理そう・・・


 

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東北大震災に思う/歌舞音曲を生業とするもののつぶやき

 東北地方を襲った信じられない規模の地震から一週間が経ちました。原発の暴走という大きな問題も発生し、計画停電などを含めて被災地の報道が相対的に減ってきましたが、被災地での厳しい生活は、これからが長い道のりです。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、被災者の方たちの生活が一刻も早く復旧することを切に念じています。

 大震災の報道を見ていて、私は16年前の阪神大震災を思い出さずにはおられませんでした。

 阪神大震災が発生した時、私の仕事の中心は家庭教師でした。たくさんの生徒に恵まれ、アシスタントの学生と一緒に多くの生徒を教えていました。私が震災後1週間でボランティアとして神戸に行くことを決めたことには、いくつかの理由がありました。

 直接のきっかけになったのは、震災3日目の報道でした。被災者が集まっている小学校(まだ避難所として機能しているわけではありませんでしたが)で、呆然とたたずんでいる子どもの目を見たからです。その目は、私に小学校のときのユニセフのポスター(ビアフラ難民救援募金)の記憶をよみがえらせました。そのポスターは、全面に大きく難民の子どもが写っていたのですが、その目はまさに「死んだ」目だったのです。

 私が見たそのニュースの子どもは、ユニセフのポスターの子どもと同じ目をしていました。「子どもは元気に遊んでいます」とレポートしているアナウンサーの言葉とは違い、現地では恐ろしいことが起こっているという思いを強くしたのです。

 そして、もう一点、私が神戸に行く決心をした理由がありました。それは、私がしていた仕事について思うところがあったからです。

 家庭教師を「プロとして」やっている私のクライアントの多くは、経済的に余裕がある家庭でした。広尾や成城などにも何人もの生徒がいました。こうした家庭で家庭教師をやって高給を食んでいる自分の仕事が、被災地の子どもたちの姿を見て、価値のないものに思えてしまったのです。子どもたちのメンタルケアをしなくては、と、ボランティア・グループを作って神戸市灘区に向かいました。

 神戸には1月末から5月の連休までいました。その結果、自分自身も精神状態をおかしくして、それまでの仕事ができなくなりました。教えている子どもにシンクロしてしまうようになり、涙が止まらなくなるような状態になってしまったのです。仕事を徐々に減らし、それから数年間は非常に厳しい生活を送ることになってしまいました。

 しかし、私は神戸に行ったことを後悔していません。神戸に入った時に、「子どものメンタルケアをやらなくてはならない!」と言い続けても、最初は全く受け入れられませんでした。(PTSDという言葉が日本で認知されたのは、阪神大震災と直後のオウム事件の被災者/被害者の心の問題が取り上げられてからです。)しかし、毎日子どもたちと時間を過ごしながら、新聞やパソコン通信などを通じて情報発信を続けた結果、3月末には少しずつメンタルケアの必要性が理解されるようになりました。私たちがやったことがどれだけ役に立ったかはわかりませんが、それでもそのときに自分ができる全てのことをやりつくした、と納得することはできたからです。

 今回の震災の報道を見ていて、神戸を思い出すとともに、私の仕事についても再び考えさせられてしまいました。

 私の仕事は(整体を傍らでやっていることはありますが)、基本的にはヴァイオリンを教えること、音楽を教えることです。自分なりに人様に認めていただける仕事になってきたと思ってはいるのですが、こうした大災害に出会うと、いろいろなことを考えてしまいます。

 現実問題として、音楽を学ぶということは、ほとんどの人にとって「最後の贅沢」です。みなさんとても熱心で、ぴっかぴかの車を買うよりヴァイオリンを続ける、という生徒さんの方が圧倒的に多いのですが、それでも「なくて済むもの」であることには変わりありません。

 もちろん、こうした「仕事」はたくさんあります。

 ある人と話をしたのですが、「美味しいものを食べる」「高い店に食べにいく」「遊ぶ」「高価なものを身につける」など、すべてが「自粛」ムードです。そして、それを声高に叫ぶ人もいます。「こんなときに贅沢をするなんて!」

 でも、そういうことを言う人が、普段「高い店」や「遊び場」に行っているのだとしたら、これは全くのはき違えです。なぜなら、「普段は欲しい。でも非常時はいらない」という理屈では、普段、そうしたサービスを提供する人がいなくなるからです。「都合の良いときはなくては困る。だけど、非常時はいらないから使わない」ということであれば、そうしたサービスは成り立たないのです。普段そうしたサービスで生活している人たちは、非常時にどうすればよいのでしょうか。

 人は、生活の中で「贅沢」を覚えました。それは、音楽を愛することであったり、美味しいものを食べることであったり、宝石を愛でることであったり・・・さまざまです。こうした「贅沢」は、生活に余裕があるからできることです。

 これは、人間の歴史を見れば明らかなことです。原始共産制が次第に上下関係がある社会になったきっかけは、「生産余力」でした。生産に余りができれば、その剰余分を得られるものと得られないものができます。これが「経済的な差」になるきっかけだったのです。文化(人間の行動はすべて文化である、という広義の「文化」ではなく、狭義の「文化」)が生活の余力にすがるしかないということは、人間が文明生活を送るようになってからのあたりまえの「本質」なのです。

 家庭教師をやっていた自分にとっては、塾や家庭教師をやることで培った経験とノウハウを被災地で活かすことができました。それがしたかったから神戸に行った、ということが本音かもしれません。ついでに、被災地でヴァイオリンを弾いたり音楽の催し物を企画したりという活動をすることもできましたが、それは、子どもたちと時間を共有することで得られた信頼に基づいてのことだったと思っています。

 自分が「干上がったキリギリス」になるのか、それとも何らかの方向性が見つかるのか、少し考えてみたいと思っています。

 

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被災者の方には心よりお見舞い申し上げます

 東北地方で未曾有の大地震が起こりました。想像を絶する津波被害で、命や日常を突然剥奪された多くの方々のことを思うと、いたたまれなくなります。

 千葉や茨城の友人、福島の生徒など、直後は心配でしたが、私の周辺ではさいわいなことに全ての人と連絡がつきました。まだ安否がわからないたくさんの人たちが、1人でも、少しでも早く見つかることを祈っています。

 私自身、阪神大震災では被災地で4ヶ月間働いていましたので、映像を見ていてその恐ろしい光景を思い出してしまいました。被災地では、これから過酷な日々が始まります。私たちは、この事実をしっかりと見据えて暮らさねばならないと思います。

Photo  引っ越したばかりのスタジオは、本棚がほとんど倒れ、室内がぐちゃぐちゃになりました。引き出しが飛び出し、落下物が部屋中に散乱してしまいました。さいわい、レッスン中だった生徒ともに、人的被害はありませんでした。被災地の状況を考えれば、これぐらいで済んだことに感謝しなくてはなりません。

Photo_3  日常が戻るまでしばらくかかると思いますが、気を強くもっていたいと思います。

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