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2010年3月

子どものためのアンサンブルセミナー@守谷


 3月28日と30日に、守谷市で好例の「子どものためのアンサンブルセミナー」がありました。今回はチェロを交えてのトリオもありました。すでに3、4回参加している子どももいて、少しずつ変化もあってとても面白く行なうことができました。

 28日は、ヴァイオリンとピアノのデュオが3人、トリオが5人の計8組、30日はデュオだけで5組です。

 全体としては、回数を重ねている子どもたちは、反応も早く、表情も豊かになっていきます。かなり際どいこともやってみるのですが、いつも子どもたちの意外な反応の良さに驚かされます。今回も、初めての子どもも含めて、いくつも驚きがありました。

 子どもへのアンサンブルの指導は、どうしても「子どもを見下した」ものになりやすいので、私は常にそれを意識しています。例えば、出だしやゆっくりする時に「合わせる」こと。

 子どもに限らず、アンサンブルの経験が浅い人に指導する時には、「合わせましょう」と言いがちです。思い起こしてみると、私も若い頃は「指揮をよく見て」「よく数えて」「トップを見て」「音を聞いて」などという注文を付けることが「指導」だと勘違いしていました。

 ところが、こんなことは指導でもなんでもないんですね。特にアンサンブルに慣れていない人が一生懸命に合わせようとすると、「見る」のはしっかり見るのです。でも合わない。それが何故か、ということがわかるようになったのは、ニフティ時代にドレ会を指導してからです。子どもとのアンサンブルも、もう15年以上になりますので、最近は「どのようにしたら反応するか」ということがひとりひとりわかるようになってきました。これが、子どもによって全く違うのでまた面白い。

「常連」の子どもたちの成長を見るのも楽しいですね。年に1、2回のことなのですが、変化し続けるところを見ることは、こちら側にも元気を与えてくれるのです。

 ともあれ・・・とっても面白い企画なので、これからも続けていきたいと思っています。

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ストリングス・アズール第二回演奏会


●3月21日

 ストリングス・アズールの第二回演奏会がありました。ご来場下さった方々、どうもありがとうございました。

 曲目は

アルビノーニ:5声のためのソナタ
バッハ:チェンバロ協奏曲ニ短調(チェンバロ独奏:鷲崎美和さん)
グリーグ:ホルベルク組曲
マーラー:アダージエット
アンコール/シベリウス:アンダンテ・フェスティーボ

 アズールの活動が始まってから10年。単独のコンサートは2度目です。もともと、アズールは演奏会をすることを目的としていなかったので(今でも、ですが)、練習が始まる時には「次のコンサートの曲を決めて練習を始める」というやりかたではありません。練習する曲をとりあえず(少なめに)決めて、練習が始まったら加える曲を決める。コンサートをやるのであれば、そのときに練習している曲でプログラムを構成するかどうか決める、という、やや不思議な決め方になります。

 アズールのコンサートは「発表会」という位置づけで(笑)、団員は積極的にお客さんを呼びません。「こんな演奏を聴いていただくのは申し訳ない」と持っているメンバーが多いからです。自分たちの力量を良く知っていることと、練習(や個人レッスン)の過程で理想を高く持つようになって、「できていない状態」が目につくからです。しかし、ひいき目でなく見ても、そろそろこのような意識から脱却しても良いのではないかと思います。

 アズールは、ほとんどのメンバーが着実に「上手になる」過程にあります。これはとても大きな利点で、自分が伸びていくことと同時に、合奏団でできることも進歩するからです。

 今回のコンサートは、私にとってはたくさんの反省点があるものでした。ずっと参加したり聴いたりしてくれている人たちから「アズールらしくない、普通のアマオケになりつつある」という鋭い指摘をされたことで「やはり」と気づきました。こだわることにこだわる(変な日本語ですね・・・)よりも、安全運転や「破綻しない」練習をたくさんしてしまったことがその原因です。

 いずれにせよ、まだまだ「伸び盛り」のメンバーに囲まれて、指揮者としては幸せな限り。もっと面白くなるようにいろいろと考えていきたいと思います。

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リズムと若者の体/体の使い方の問題


●3月7日

 今日は、グリーン交響楽団の弦分奏。今回の曲は、シューマンの「ライン」とチャイコフスキーの「イタリア奇想曲」。曲のことはおいておいて、今日は若者の体についての考察です。ウェッブや掲示板で、私は「若者の体が危機だ」と何度か書いてきましたが、またもやそれを感じることとなりました。

 きっかけになったのは、第二楽章のリズム。三拍子なのですが、どうしても三拍子らしくありません。特に、2拍目3拍目を弾いているパートがリズムになっているように聞こえないのです。「リズムは割り算。足さないこと」という説明だけではどうもうまくない。そこで、みなさんにさまざまな歩き方をして、リズム感覚を知ってもらうことになりました。

 歩き方は、その人のリズム感覚に直結すると思っています。きちんと歩けない人はリズムが悪いことが多いのです。根本的な理由は、「拍動の意味の取り違え」です。「拍」は、物理的には時間単位を示します。そのために、「拍動」を単に時刻の通過を示すものだと考えやすいのです。

 音楽が演奏されるとき、演奏のベースにある「拍動」は「音楽が進む勢い」を示すものでなくてはなりません。表すものが「時刻」ではだめで、「その時点での加速度」を示す必要があるのです。

 理屈では理解しにくいかと思いますが、「手拍子をしてみて」というと多くの人が納得します。拍動が単なる物理的な拍になっている人は、手を叩く時に叩いた手が止まります。しかし拍動に進む勢いを感じている人であれば、叩かれた手は弾かれたように運動します。この「勢い」が拍動なのです。

 こうしたことを説明して、皆さんにリズムを感じながら歩いてもらいました。結果は・・・

 リズムを感じることができない歩き方をしている人が多かったのですが、それよりも気になったのは、多くの人が「骨盤を使って歩いていない」ことなのです。

 これは、日常的に街を歩いている人たちを観察してみるとよくわかります。歩く時に骨盤が使えているか/使えていないかは一目瞭然なのです。グリーン交響楽団の人たちの中にも、骨盤が使えていない人がたくさんいました。特に、若者がダメなのです。

 そこで、20代の男性2人に実験台になってもらいました。やり方は簡単。仰向けに寝転がって脚を閉じてもらい、閉じた脚を「手で」こじ開けようとするのです。被験者はもちろん抵抗しますが、2人の若者の脚は簡単にこじ開けられてしまいました。これは大問題なのです。

 脚と手のどちらが強いか、ご存知でしょうか。もちろん、脚の方が強いのです。その昔、梶原一騎が漫画の中で「逆立ちして脚で攻撃する最強の格闘技・カポエラ」という紹介をした(これは事実誤認ですが)ことも、仮面ライダーたちが「蹴り技」を多用したのも、脚が強いからなんですね(笑)。

 私の脚は、男性2人がかかりでも開きません。これは、内転筋や大腰筋がしっかり使えているからなのですが、これらの筋肉(および腹筋下部)は、骨盤を安定させるために大きな役割を果たしています。こうした筋肉がしっかりしていないと、骨盤を使って歩くこともできませんし、姿勢も悪くなります。

 こうしたことを説明し、体を調整することをお願いしました。リズムの話からかなり脱線してしまいましたが、「リズミックに歩けない人はリズム感覚が悪い」というのは、かなりの確率で真です。サラサーテ誌の14号にも書きましたので、機会があれば目を通して下さい。

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左腕の上腕部のねじれ


● 3月9日

 先日、ひょんなことから左手の上腕部の運動について認識を新たにしました。テーマは「上腕部のねじれ」です。これまで、私が講習会などで説明してきた左手の運動の作り方に、若干の修正をする必要が生じましたので、ここに書いておこうと思います。

 問題は「楽器を構えた時の左上腕部のねじれがどのような場合に生じるか」ということと「ねじれが生じた場合にどのような影響があるのか」に分類され、「ねじれが左手の運動になんらかの悪影響を及ぼしている場合はその改善策」と「ねじれを取り去るために必要なトレーニングとその副作用」を見つけることが必要です。

 10日ほど、レッスンで片端から生徒をチェックし、どのくらいの生徒がねじれを起こしているか、問題を生じているかを調査し、必要だと思われる「治験薬」を処方しています。サンプルはまだ20ほどですが、現時点ですでに明らかになったこともたくさんあります。

「左腕のねじれ」は、上腕と前腕が一体となって運動した時に起こりやすいものです。これは、以前から多くの指導者が問題視してきたことであり、私は「一応の解決策」を提示してきました。それが「左腕全体の動きをばらして理解して作る」方法です。

 この動きは、「手を上げる」「前に出す」「回転させる」「肘を曲げる」「肘を回す」という5つの運動で作られているものです。「手を上げる」「前に出す」はひとつの運動と捉えることもできます。この順で左手を楽器を持つように構えると、左腕のねじれはほとんど取れる「はず」でした。ところが、問題が生じる例を発見したのです。

 それは、「肘を外側に回転させる時に、ある程度まで回さないと肩周辺の筋肉が使えない」ケースがあることで判明しました。このような人に「肘を外側に回して」と指示すると、上腕部が「ねじれたように」見えます。上腕の骨は回転しているにもかかわらず、上腕上部の筋肉はほとんど動かず、肘に近づくにつれて回転運動が認められるようになるのです。これは、明らかに上腕の筋肉が「ねじれて」いることを示します。

 腕をだらんと下げた状態では、こうした症状を呈する人は(今のところ)3割以下ですが、楽器を構えると少々事情が異なります。腕を下げて腕がきちんと回る人でも、楽器を持つと上腕をねじる人が少なくないのです。

 このねじれを解消させると、左手にさまざまな変化が現れる人がかなり存在します。指が軽くなる、しっかり押さえられる、手首が楽になる、などの効果がハッキリしている例がすでに6例もありました。

 運動の詳細や対処法は、もう少し時間をかけて検討しないとまとまらないとは思いますが、現時点では

・左手の大きな運動は、「手を上げる」「前に出す」「回転させる」「肘を曲げる」「肘を回す」という順序で作るのではなく、「肩を廻す」「腕を上げる/肘を曲げる」「肘を回す」という順序で作る方が腕のねじれを生じる可能性が低い

ということだけはハッキリしました。

 みなさんもチェックしてみて下さい。

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アズールの演奏会まで2週間


●3月6日

 アズールの演奏会まで、あと2週間になりました。一昨年の8月に練習を始めてから、すでに1年半が経過しています。「長いなぁ」と思っていましたが、近づくにつれて「もっと練習させたい」と思うように・・・いつものことですが、やることは尽きません。

 アズールの練習は隔週です。まだのんびりしている時期は、練習でやったことが次の練習ではきれいさっぱり「リセット」されていることも少なくありません(苦笑)。できるだけ身に付くように、少しずつ、少しずつ要求を引き上げていくのですが、とても時間がかかる作業です。

 しかし、今日の練習では、だいぶ成長したアズールを見ることができました。エキストラに入ってくれるヴィオリストが、「うまくなったねぇ。マーラーの音がしてたよ」と、嬉しい一言。もちろん、「したところも(わずかに)あった」ということでしょうが(苦笑)、それなりに形になってきたことは確かです。元来大人数で弾くことが想定されている曲を、少人数、しかも力量が十分ではない奏者が集まって弾く訳ですから、とても大変なことなのですが、たしかに私がイメージしている音楽に近い反応を示してくれることも増えてきました。練習が毎週になってからは「リセット」もなくなったようです(笑)。

 マーラーは、予定演奏時間が12分弱。とっても「遅い」テンポです。この曲は遅く弾く方が難しいので、皆さんはかなり不満顔。でも、マーラーがこだわって書いた音を見ていると、大切な瞬間を「長く留めたい」と思ったマーラーの気持ちが伝わってくるように思うのです。

 ホルベアは・・・ヴィオラが大善戦・・・と言いたいのですが、さすがに難しいですね。テンポを妥協すれば良いのでしょうが・・・本番ギリギリまで頑張って下さい!!

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新たに気がつくこと、再認識すること


●3月4日

 先週、ひょんなことから左手の腕の使い方について認識を新たにすることになりました。長年ヴァイオリンを教えてきて、たくさんの生徒さんに恵まれているにもかかわらず、毎年のように「気がついていなかったこと」「認識し直すこと」が出現します。一生勉強だ、ということはわかっているのですが、それが結構大きな結果を生んだりすると「どうして今まで気がつかなかったのだろう」と、結構へこんでしまうことも少なくありません。

 この1年ほどの間に、「体の使い方で認識を改めた」「初めて気がついた」大きな事例は3つあります。その度に、生徒を次々とチェックして、新たにわかったことがどのくらいの影響があるのか、問題である場合は解決策はないのか、ということを探ります。すぐに解決策がわかることもありますが、思いついたトレーニングにどのような効果があるのか判然としないこともあります。

 生徒は私にとっての「フィールド」でもあります。効果があると思われるトレーニングを「試して」みることも少なくありません。何通りかの方法が考えられる時には、もっとも効果が出そうな生徒とトレーニングの組み合わせを考えて試します。私は「治験」と呼んでいるのですが(苦笑)、生徒さんには「試してみてね」と断ってからトレーニングをしてもらいます。最近はあまり「外れ」がなくなったのですが、パターンが少しずつ違う何人かの生徒に「試して」みて、効果が明らかであれば正式なトレーニングとして採用します。

 生徒は、ひとりひとりが体の構造も使い方も、そして頭の使い方も全く異なりますから、同じトレーニングを指示しても、実際に行なわれることには大きな差があることを「予測」しなくてはなりません。そうでないと、人によって異なる効果を予見できないからです。こうしたことを「読む」力は、昔よりはついたように思いますが、まだまだ時間がかかります。新しい生徒さんがくると「私の言葉が本当に理解できるようになるには3年かかるよ」と言うのですが、それには、「私が生徒を理解するのにもやはり時間がかかる」という事実が含まれています。

 この1年に「わかった」新事実は、比較的大きな影響を与えるものでした。こうした発見があるのは、実は私の生徒を理解する力が増したこともひとつの原因かもしれないと思い始めました。しかし、そのことは「これからも自分の能力を伸ばさないと新しい発見がしにくくなる」ことも意味します。

 やはり、一生勉強ですね。新しく気がついた内容については、次のブログで書こうと思います。

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